お初ですが、教えて頂きたいことがあって筆を執りました。 小生、昭和20年1月から同26年3月まで、佐賀県佐賀郡松梅村大字名尾の佐敷なる地にいました。6歳から12歳のことです。土地の大人達が農作業に出発する前の打ち合わせで、「今日は三上さんの屋敷に行こう」との言葉があり、付いて行くと、建物はなく畑でした。 なぜ、かなり広いこの畑を、三上さんの屋敷と呼ぶのか、私は疑問を投げかけました。大人達の説明は、次の様でした。 明治9年の神風連事件に参戦した三上さんが明治政府に追われて、佐敷に逃げてきたのだよ。捕まれば斬首の刑だ。佐敷の集落は挙げて三上さんを守った。君の先祖、小副川の爺さんが、自分の畑に屋敷を建てたのだ。政府軍が馬に乗って賊軍狩りに来たら、山の中の洞窟に逃がし、帰ったら屋敷に戻す。誰一人、政府軍に売る者が出なかったと、誇らしげに語ってくれました。(「小副川の爺さん」は「成富の爺さん」だったかも知れません。時期は不詳ですが、私が名尾に行く相当以前に姓が変わっています) ここで教えて頂きたいのは、神風連事件の三上さんの名前です。同事件の三上さんと、五・一五事件の卓さんの続柄も教えて頂ければありがたいのです。卓さんの父君は新さん(北鮮日日新聞社長)ですよね。実は小生の父の名は新です。神風連事件の縁での名付けだと私は考えています。不躾ではありますが、お解りであれば教えてくださるようお願い致します。 返信
深井様、はじめまして。 ほっこと申します。 この度はお問い合わせ誠にありがとうございます。 まずは、三上姓を神風連志士名簿から探してみましたが、見つからないようです。 5.15事件の三上卓氏のご親戚筋が分かれば調査可能かも知れません。 例えば『三上姓を遡るとご先祖が何姓であるか』などで170志士と照らし合わせ、繋がりを探る事が可能かと思われます。 Wikipediaには詳しい記述が発見出来ませんでした。 ご遺族様からの口伝で新たな発見をする事も多々でございます。 ※資料には掲載されずとも、神風連志士の仲で婚姻関係を築いた方もいらっしゃいます。 この度、深井様が三上姓について結び付く資料や更なる口伝、また佐賀県熊本県などの市区町村役所で戸籍謄本(除籍含む)をお取り頂き続柄の照合をして頂ける事が出来ましたら私共も積極的に調査に進めることが出来ます。 5.15事件へと続く大変興味深いご伝承ですので、何卒ご協力頂せましたら幸いでございます。 返信
ご返信ありがとう御座います。 志士名簿にないとのこと、参戦者は多人数だったようですので、名簿にないのも理解できます。 戸籍謄本を取ることの意義は限定的なので、そうは致しません。が、引き続き調査を続行致します。西日本新聞在職(小生)時代の知人など、佐賀総局勤務経験者などに聞き取りを質と思っています。何か成果があれば、すぐお知らせ致します。 返信
深井健二様 ありがとうございます。 深井様の調査に頼る事となりますが、何か分かり次第ご連絡頂けますと幸いです。 西日本新聞と言う大きな新聞社でご勤務歴がおありでしたら確かに強いですね。新たに三上氏との続柄を発見出来る可能性は高いです。 引き続きお待ちしております 返信
Great post.
Thank you!
お初ですが、教えて頂きたいことがあって筆を執りました。
小生、昭和20年1月から同26年3月まで、佐賀県佐賀郡松梅村大字名尾の佐敷なる地にいました。6歳から12歳のことです。土地の大人達が農作業に出発する前の打ち合わせで、「今日は三上さんの屋敷に行こう」との言葉があり、付いて行くと、建物はなく畑でした。
なぜ、かなり広いこの畑を、三上さんの屋敷と呼ぶのか、私は疑問を投げかけました。大人達の説明は、次の様でした。
明治9年の神風連事件に参戦した三上さんが明治政府に追われて、佐敷に逃げてきたのだよ。捕まれば斬首の刑だ。佐敷の集落は挙げて三上さんを守った。君の先祖、小副川の爺さんが、自分の畑に屋敷を建てたのだ。政府軍が馬に乗って賊軍狩りに来たら、山の中の洞窟に逃がし、帰ったら屋敷に戻す。誰一人、政府軍に売る者が出なかったと、誇らしげに語ってくれました。(「小副川の爺さん」は「成富の爺さん」だったかも知れません。時期は不詳ですが、私が名尾に行く相当以前に姓が変わっています)
ここで教えて頂きたいのは、神風連事件の三上さんの名前です。同事件の三上さんと、五・一五事件の卓さんの続柄も教えて頂ければありがたいのです。卓さんの父君は新さん(北鮮日日新聞社長)ですよね。実は小生の父の名は新です。神風連事件の縁での名付けだと私は考えています。不躾ではありますが、お解りであれば教えてくださるようお願い致します。
深井様、はじめまして。
ほっこと申します。
この度はお問い合わせ誠にありがとうございます。
まずは、三上姓を神風連志士名簿から探してみましたが、見つからないようです。
5.15事件の三上卓氏のご親戚筋が分かれば調査可能かも知れません。
例えば『三上姓を遡るとご先祖が何姓であるか』などで170志士と照らし合わせ、繋がりを探る事が可能かと思われます。
Wikipediaには詳しい記述が発見出来ませんでした。
ご遺族様からの口伝で新たな発見をする事も多々でございます。
※資料には掲載されずとも、神風連志士の仲で婚姻関係を築いた方もいらっしゃいます。
この度、深井様が三上姓について結び付く資料や更なる口伝、また佐賀県熊本県などの市区町村役所で戸籍謄本(除籍含む)をお取り頂き続柄の照合をして頂ける事が出来ましたら私共も積極的に調査に進めることが出来ます。
5.15事件へと続く大変興味深いご伝承ですので、何卒ご協力頂せましたら幸いでございます。
ご返信ありがとう御座います。
志士名簿にないとのこと、参戦者は多人数だったようですので、名簿にないのも理解できます。
戸籍謄本を取ることの意義は限定的なので、そうは致しません。が、引き続き調査を続行致します。西日本新聞在職(小生)時代の知人など、佐賀総局勤務経験者などに聞き取りを質と思っています。何か成果があれば、すぐお知らせ致します。
深井健二様
ありがとうございます。
深井様の調査に頼る事となりますが、何か分かり次第ご連絡頂けますと幸いです。
西日本新聞と言う大きな新聞社でご勤務歴がおありでしたら確かに強いですね。新たに三上氏との続柄を発見出来る可能性は高いです。
引き続きお待ちしております