正義の矛盾性と無神無心の心構え神風連130年、魂での勝利
本来この地球上に良い、悪いがあったでしょうか?また、あるでしょうか?
よい、わるいも、国によって変わり、時代によっても変化して来ましたね。たとえば十字軍時代はアラブへ出かけて異教徒を一人でも多く殺すのが神の心に沿った道、貴族に位上げされる善でした。敗戦までの日本も、鉄砲かついで外国人を殺すのが忠良臣民の道、善でしたね。
「正義」という言葉は、一見、耳障りがいいのですが、歴史の中で、最も危険で、マヤカシの多いものだったし、今も、そうだとは思いませんか?
損だから、得だからのモノサシも捨て、善悪の価値基準も捨てたら、一体何を拠りどころにすればいいのやら、と思う人も大勢いるものです。私は決して「正義」という言葉を使わないように心がけております。個人的にも社会的にも、対立、諍いのもとになることが多いからです。世界はいまだに、お互いさんに、こっちが正義、イヤワッチのホウが正義だと争闘していますからねえ。
草主人従が当たり前の姿のこの地球上でいえるのは、「自然か?不自然か?」それだけだと考えています。
日本人も「人主草従」の一神教的な学問体系のなかにマインドコントロールされきっているので、ま、自然とか自然の摂理とか言ったって、勘違いしている人が多いので、厄介なのですが…。
自然を眼にはすれども、真の自然を観る人が少なくなってしまったようです。
汎神論の人々のいう尊(かみ)は、感謝の念と共に、我がこころに宿す、または、自然の理からハズれぬように生きる、というものです。それが自然と一体化しょうとする古来からの禊(みそぎ)であり、心の修養、修行でしたものね。でも、その考えに殉教したからといって、尊様が永遠の結構なる天国へお導きくださるなぞとは考えていません。そんな信仰などはしていません。
特に死諌するほどの神風連の人々は。
ただ、今は捨石となろうとも、未来に向けて、我が精神、マインドを遺す、または、再び思い出して貰えたら仕合わせなるかな、との、生き方、生き様を選んだわけです。神風連は敗北した?とんでもありません。
現代に少しでも、「ああ、なるほど、そうだったのか…」と理解する人々が出てきたとしたら、志士達は未来に向けて勝利したわけです。
でも、その時点でも精神では、勝利しているかもしれませんよ。
熊本鎮台の兵達も多くは日本刀を我が魂として来た、もと武士です。近代兵器を使わなかった神風連に、戦では勝ち得ても、魂では敗北、哭いてた人が多かったでしょうねえ…。
でも、「これが時代の流れなんだ」と自己弁護しつつ、思い出さないように、思い出さないように…努めたことと思います。
神風連の人々が、そこまで未来を観ることなぞ出来るはずはないと思う人々が多いものです。確かに、こん日の状況を詳細に分別出来たわけではないでしょう。でも、連発銃が機関銃に進み、大砲の飛距離が信じられぬ程伸び、遠くから通信できるだろうことも、空を飛ぶ乗り物ができるくらいの事は想像できたはずです。私達が今、応用科学技術が相当に発展したなあと思いつつも、イヤイヤまだまだ、こんなのは序の口に過 ぎないのだなあ、と分別出来、未来を想像出来るのと同様のことです。
汎神論の人々には、とにかくこれは「尊」を畏れぬ危険なことだとは分かるものなのですね。
そんなことを警鐘した人は洋の東西にも沢山いますが、「シアトル酋長のメッセージ」なども参考になる
かと思い ますねえ。
以下は先生が、ご友人に送られた文です |
41歳の時、曹洞宗の開祖の道元禅師の「正法眼蔵」と出会いました。
道元は渡唐して幾多のお経の中から最古の経典の阿含経(京都のサギ教団の阿含宗とはの関係もありまへんで)を読んだと考証されていますので 、サンスクリット学者の増谷文雄訳の阿含経典を読みました。
その書で本来の仏教では奇跡も神秘も語らず、当然、信賞必罰の「神」の存在も無く、死後のアートマン(肉体から遊離する霊魂)も否定した教理体系でした。
宗教家の子供として育った関係上、長年、念い、悩んできたテーマだけに、目からウロコがはがれたように、納得せざるをえない深い洞察で、ああこれは本当だと思い、涙がでたものでしたわ。
7年前。150年前のアメリカで、白人から金をやるから、千キロ離れた、痩せこけた土地の居留地へ行けと命じられ、生き残った部族とともに引きあげて行く前に酋長が、白人たちにメッセージを残しましたが、この文章を見て、異文化{汎神論}の洞察の深さにも感涙したものでした。
インドの山の民、「プチコのメッセージ」もフ~~ムと思ったものでした。
便利、快適(じつは不便不快適なのですが……たとえば東京などの高層マンションが大地震などで電気が切れたらいかがですか?16階の自分の部屋に辿りつくのもフーフーものです。中に入れてもご飯も炊けないし、風呂にも入れませんぞ?)の追求のグローバル経済が進むなかでも、「狼と踊る男」や、「ラストサムライ」などの映画もつくられ、またそれなりの理解もできるからこそ、ヒットもして、チットは本来の知恵を憶い出してきた流れもあります。
神風連の人々の思いの深さと、重大性を感じています。
いずれは私も佐久間象山と河上彦斉を、凶行の以前に一度会っていて、たとへ対極的な立場にあったとしても、未来を観通せた、二人の天才として、劇画にしたいものと思っています。