
その黒い物体は砲兵から奪取した大砲であった。
彼等の言うにはそれを用い富永らとは違う道より進入し縦横に攻め寄せ混乱を煽ろうというものであった。
太田黒らは、最初少し躊躇ったものの、一刻も早く富永隊を助けたいと已む無く承知し、重たい大砲を引っ張って歩兵営へ向かったのである。
野口らは大砲というものを直に触れる事も見る機会も余りなく、使用経験の無いものばかりであった。
上下縦横あらゆる角度から見ても当然の如く理解できよう筈もない。筒状になった部分の先端から込めた弾薬が発射される事くらいは想像できるものの、その発射に行き着くまでの作業が全くの未知であり彼等は途方にくれた。
その時である。砲兵の生き残りが炎上する営舎から城外へ逃れようと右往左往しているではないか。
隊士らはこれを逃すなと数人が兵士の下へ躍り出た。
「待て!」
「逃げれば叩き斬るぞ!」
怒声を発し迫り来る敵に、砲兵は遂に丸腰のままどうするも敵わず両手を上げて立ちすくんだ。
彼等は砲兵から大砲の装着を一通り聞き出して、今度は意気揚々歩兵営をめざしたのである。
「よし!この門を一気に砲撃で破り突破するぞ」
太田黒加屋両帥は大砲を運ばせると、怒号と共に営門目掛けて発射を命じた。ドン!と凄まじい轟音が響き中で敵兵達のざわめきとバリバリっと脆くも門が破れ朽ちる音が聞こえる。
太田黒は今こそと再び刀の切先を鋭く営内に向け突き出した。
「富永隊に後れを取るな!皆一丸となって鎮軍に向かえ!」
これに続き加屋も天高く刃を向け、
「我等は神兵ぞ!何も恐るるにあらず!続け!」
と先陣きって営内に攻撃を開始したのである。
この混乱状態に乗って再び大砲を打ち鳴らさんとした時、ふと問題が生じた。
火薬を詰め、手順通りに発射できる筈の大砲が先程と打って変わって沈黙したままになっている。砲手を勤めていた隊士もこれには首を傾げている。何故か。これを以って速やかな同志との合流を図るつもりでいただけに、動かぬのは痛手である。
「ええい!この鉄屑が無くとも我等には刀だけで十分、捨て置け!」
太田黒は大砲を蹴りだすと、刀や槍を持って再び馬上より攻撃を進めた。
この頃、歩兵営では敵は寡勢なりと冷静さを取り戻し、小銃部隊が着々と戦場へ台頭しつつあった。
熊本城二の丸歩兵営は敬神党一党の主力部隊と、鎮西鎮軍二千余の大部隊とが真っ向からぶつかり合う激戦区と化していた。
太田黒率いる本隊は富永隊にいち早く合流し、激しい斬りこみを断行していた。
烈士等の命を惜しまぬ武士道精神は鎮西の部隊を追い詰めていたかに見えた、しかし。
「敵は寡勢なるぞ」
この怒声が響いたその瞬間、事態は急変する。
帯剣部隊はみるみる潮引きの如く後退して行ったのだ。
(これは・・・。)
加屋は中軍に位置しながらも、戦況を常に見極めんと目を凝らし敵の動静を覗いっていた。
確かに、自軍は強固な意志の元敵兵を飲み込まん勢いを持つ強さがある。
然しながら、あれだけ大軍を擁し近代兵器を保有する鎮軍が情けなくも小銃一つ用いるも無く引き上げるのは何か不自然である。
何かあると思うも、この勢いを止めてしまえばそれこそ敵を勢いづかせ敗走の憂き目に遭いかねない。
後退するのが戦に於いて、如何に難しいものか、そう考えると到底この流れは崩せぬものになる。
已む無く、加屋は大小両刀を引っさげて只管に前進するのであった。
