◆神風連の変が起こった時代
昔の日本で起きた、侍たちの戦い
今から約150年ほど前、明治時代(めいじじだい)のはじめ、日本はとても大きく変わろうとしていました。
江戸時代(えどじだい)のあいだ、日本では将軍(しょうぐん)が国を治めていて、「武士(ぶし)」という人たちがえらくて強い存在でした。でも、1868年の明治維新(めいじいしん)で天皇(てんのう)を中心とした新しい政府ができると、日本は急いで西洋の国々のように変わろうとしました。
洋服を着たり、鉄道をつくったり、外国の考え方や制度をどんどん取り入れていったのです。
でも、変わることが悲しかった人たちもいた。
新しい時代をよろこぶ人がいる一方で、昔からの日本のやり方や、武士の生き方を大切に思っていた人たちは、とまどったり、かなしく思ったりしていました。
熊本(くまもと)という場所にいた「神風連(しんぷうれん)」というグループの武士たちもそのひとつです。
◆神風連について
神風連というのは、もともと幕末に肥後勤王党(ひごきんのうとう)に参加していました。明治時代になって、敬神(けいしん:古神道の神様を信仰する人たち)の心が深い人々が肥後勤皇党から分かれて新しく敬神党(けいしんとう)というグループを作り、活動をしていました。彼らはすごく熱心な活動をして、古い文化を大事にするあまり、新しい政府に馴染みませんでした。言うことを聞いてもらうために、熊本県の安岡という県知事は神官採用試験(しんかんさいようしけん)を行い、県に協力してもらおうとします。その時、試験に彼らが「神風が吹いて日本を守る」と同じ回答を書いたことから、試験をした人たちが「彼らは神風連だ」といい、それが広まり、敬神党は神風連と呼ばれることになりました。
神社に採用はされましたが、神風連の人たちは、「日本は神の国だ。昔からの道(=古神道)を忘れてはいけない」と考えていました。安岡県知事の狙いどおりに神社で仕事をしてもらい、おとなしくさせる目論み(もくろみ)はうまくは行かなかったのです。
外国の文化にばかり頼り、武士を役に立たないもののようにしていく新しい政府に、強い不満を持っていたのです。
神風連と政府が対立をふかめるのに、そう時間はかかりませんでした。
◆神風連の変がおこった
1876年のある日、明治政府が「もう刀を持ってはいけません」という命令(廃刀令)を出しました。これを聞いた神風連の武士たちは、「武士の誇りをけがされた」と思い、たちあがることを決めました。
そして同じ年の10月、神風連の人たちは熊本の町で一斉に戦いをしかけました。これが「神風連の変」です。
しかし、新しい時代の軍隊は銃(じゅう)や大砲を持っていました。刀だけで戦おうとした神風連の武士たちは、とても不利な戦いを強いられ、ほとんどの人が命を落としてしまいました。
たたかいのあとに
神風連の乱は、すぐに終わりました。でも、このできごとは日本の人たちに、「新しい時代とはなにか」「古いものを捨てるとはどういうことか」を考えさせるきっかけになりました。
戦った神風連の武士たちは、負けたけれど、自分たちの信じた道を最後まで守ったとも言えます。その生きざまは、今でも語りつがれています。
◆さいごに
神風連の乱は、ただの戦いではなく、「どう生きるか」「なにを大切にするか」を真剣に考えた人たちの物語でもあります。
昔の人たちが何を思っていたのか、なぜ命をかけたのかを知ることで、今を生きるわたしたちも「自分にとって大事なことは何か?」を考えてみるきっかけになるかもしれませんね。
未来のある人たち、すべての日本人は、ご先祖様や偉人(いじん)、命についてしっかり考え大事にすることを見つめ直さなければいけません。