敬神党と激闘を演じた猛者達

🔸種田政明

天保8年(1837)生まれ

薩摩藩士

文久2年に藩命により上洛し朝彦親王の護衛となる。女好きで奔放な性格で、花街の女郎達から花の左門と呼ばれる。

戊辰戦争にも従軍しており、明治4年には兵部省を経て、明治6年には東京鎮台司令長官となる。天皇が見る前で諸兵隊分列式総指揮,野営演習諸兵総指揮などに当たる。

明治8年12月江華島事件談判にいく井上馨に随行。翌年1月には熊本鎮台司令長官に任命される。

西郷下野の明治6年以降は薩摩派閥をまとめる役を担う苦労人。

西郷に次いで、桐野らと並ぶ大物。

桐乃よりも官僚としての才覚もある文武両道と思われる。

熊本においても妾である小勝と共に小間使いの女を妾とし、両手に花と喜んでいたという。

いた芸者小勝が東京の実家に打った「ダンナハイケナイワタシハテキズ」の電文が何故か賞賛を受け都々逸として当時流行したのである。

🔸高島茂徳 中佐

1846年生まれの静岡藩士

明治3年政府に出仕。創設初期に陸軍砲兵科中佐となり、山縣有朋に才を見出され、明治9年6月に熊本鎮台司令部参謀長に抜擢された。

享年31

高津運記ら、種田政明襲撃

しげはる

神風連偲奉会運営

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