神風連事変 四話


加藤錦山神社・・・加屋は立派な石造りの鳥居を潜ると真直ぐに本殿へ向かう。

彼はそのまま本殿の手前で立ち止まると何時もの様に拍手を打って祈念するのだった。

石原運四郎は加屋の後姿に追いつくと、彼に倣って神前へ拍手を打ち瞑目した。加屋は暫く祈り続けていたがやがて静かに眼を開くと、いつの間にか傍らで手を合わせ祈願する石原をそのままにして社へと入っていった。

「あ、加屋先生。お勤めご苦労さまです。」

「うん。これだけは欠かす事が出来んからな。」

加屋は元々ここの神官であり、辞する以前はこの祠掌らとこの社で祭祀を祭っていた。挙兵の事はあくまで極秘にして彼はひたすら同志と歓談していた。

「加屋先生、置いていかんでくださいよ。」

ふと顔を上げると先ほどから後へ着いて来る石原の姿があった。

彼もまた神職者であって宇土の西岡社に勤めていた。

加屋霽堅が加藤社辞表を出して以来ここには神官が不在となっており、木庭や浦のような祠掌だけで静かに祭祀を祭っていた。

あるとき、同志の一人が石原を尋ね便宜の為遠い宇土より加藤社の神官へ推挙をしたが彼は、

「会合の便宜を取って後に入るのは加屋が辞してまで訴えんとしたその志を冒す事に成り得る」

として、断固として加藤社に奉じる事を固辞したのだった。

「加屋先生、つまり挙兵に際しては敵陣へ急襲を行うしか勝機掴めぬと仰せですか?」

木庭は恐る恐る彼に問うた。加屋は静かに頷くと、

「うん。相次ぐ乱によって城内にある鎮西軍もその多くが出陣しておりまさに今が好機。とはいえ我等一党のみで寄せるにおいてやはりまだまだ敵兵の数ではあちらが勝る。」

彼は平生よく神社への詣でる際、熊本城を遠く眺めながら子供達に教示する事がある。

城を見下ろす高き山頂に立って、砲撃を浴びせれば難なくこの難攻不落の城をも落とせてしまうだろうと。

しかしその法を用いる事はなかった。

彼らはこの後の激戦でも最後の瞬間まで士魂を貫き通すのである。

「加屋先生、時にこれからの御予定は?」

石原はそれとなく訊ねた。彼は出来る事ならこの領袖と向き合って同じく戦術を交錯してみたいとも願っていたからだ。しかしながらその思いとは別の答えが返ってきた。

「俺は一度新開を訪れ今後の方策を練ろうと思う。石原君、あんたも富永らとよく協議し、此度の一挙に向けての準備を整えておいて欲しい。」

彼はそういい残すと、錦山をさっさと足早に下っていった。

石原は富永邸へと一人向かい、門を叩いた。

富永守国は年老いた母、そして兄弟達と静かに生活を営んでいる。

彼は大変な孝行もので、病を患った母へ炊事などの世話まで行い、異教として抵抗のあった仏法のお題目をもまた母の為と唱えるほどであった。

その彼も、いまや挙兵へ向け一党の参謀長としての重任を負い兄弟と共に日々同志間を奔走する身であった。

「守国、丁度良い所に出てきてくれたな」

富永は今丁度阿部宅を訪ねんと支度を整え外出する所であったから、突然声を上げて呼ぶ石原の声には流石に驚いたようで眼を瞬いていた。

「運四郎!驚いた、久しく我が家へは来て居なかったろう?」

「ああ、大概阿部か新開辺りで会合しておったからな。」

彼はのんびり構えてそう告げると、

「ところで、今からどこかへ参るのか?」

と、すかさず言葉を付け加えた。

「ああ。これから阿部の所へ行こうと思っておる。一緒に行くか?」

「ああ、俺も3人で話をする為に来たんだからな。行こう。」

こうして二人は連れ立って水道町へと急ぐのであった。

水道町への向かういくつかの細い路地で、彼らは洋装纏った男女を見つけた。夷風に犯された文化がついにここまで迫っている。

二人はぞくと身を強張らせ危機を全身で感じ取ると、無言のままに同志宅へと急いだ。

阿部邸へ着くと、いつもと変わらぬ凛とした女性がまず二人の来訪を喜んで出迎えてくれる、以幾子である。

「まぁ、石原さん、富永さん、どうぞ。主人に会ってくださいませ。」

以幾子に促され軽く挨拶を交わすと彼らは遠慮なく屋内へ上がるのであった。

「挙兵に際して、他の同志共連携を強化しておく必要があろうな。」

もの静かな阿部の声が一室に響く。

「俺は今からでも肥後を出て伝書を持って秋月へ飛ぼうと思っている。」

石原運四郎の声は低く透き通った美声であるが、非常に武張った人物である為余りその容貌に拘らず敢えて着飾る事もしなかった。

そんな彼の声も今は僅かながら焦燥感を漂わせていた。挙兵のその時を強く感じているからである。

「高津への知らせは緒方に任せ、我等は同志達の会所を整えよう。」

富永は二人の顔を見やると、そう締めくくった。

こうして、一同は散会し、それぞれにすべき事を成す為に動き出した。

石原はその日のうちに秋月を目指して肥後の街道を上っていった。

阿部や、富永はそれぞれ自宅へ戻ると、直ぐ様家人を呼びつけ同志達の待機所として接待に追われた。

いよいよ決起するその時に向け、それぞれに動き出すのである。

緒方小太郎は、富永の知らせを受け直ちに人吉の高津へと書を認めた。人吉は中心部より離れており、彼の元に手紙が届いたのは12日のことであった。

その日彼は15日に控えた神社の大祭の為、祠掌等と共に準備に勤しんでいた。

「母御危篤が為、至急来熊願いたし。」

緒方からの知らせを受け手早く段を取ると、後事を祠掌の福山に託すや直ぐ様出立整えて熊本へと向かうのであった。

人吉を出て、彼が熊本市街へ入ったのは24日、すなわち挙兵当日の朝であった。高津は到着後自宅へ戻らず、阿部邸を訪問した。

「おお!高津か。漸く来たな。まあ奥の間へ上がってくれ。」

阿部は彼の肩を叩きながら明るく迎えた。

「ああ。所で緒方君から書簡を貰うたが。」

旅装束を緩めながら高津は知らせを案じつつ訪ねると、阿部から帰ってきた答えは全く違うものであった。

「挙兵の日取りが決まった」

その声は先程の明るい彼とは思えぬ低く冷たいものであった。

「挙兵の日取りが決まっただと?」

「うむ。実はな、早くに連絡できればよかったろうが。」

高津は目を見開いて阿部を凝視した。

阿部は言葉詰りながらゆっくりと話を進めていく。

「今夜、鎮台に仕掛けるつもりだ。」

この言葉を聴いた瞬間、高津は覚悟という言葉と共に、全身総毛だった。背筋を伸ばし、顔は高潮し、いよいよ自分も志を以って散っていくのかと。

汗ばむ手で袴をギュッと握り締めて気を静めるのが精一杯であった。ふと、そんな彼に一つ二つ、顔が浮かぶ。

彼は三歳になる娘がいた。おそらく自分が帰ってきている事も、挙兵なぞする事も露ほど知らぬだろう。きっと娘は、妻は、母は、皆今自分が人吉で祭事に励んでいるだろうと今この時とて疑いはしないだろう。この挙兵の後、彼を育てた母はどう思うであろう。お叱りになるだろうか。悲しむだろうか。そう思うと高津は居た堪れなくなった。

彼は、一度新開へ言って方策を尋ねんと言い阿部邸を後にした。

神風連事変

しげはる

神風連偲奉会運営

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