神風連事変 六話

いよいよ挙兵へ向けての最後の段取りである。
領袖達は慌しく同志宅を行き来し、または斥候へ繰り出すものもあり。彼らに残された時間は残りわずかとなって、今より先は斃れるまで戦うべく戦場と相成る。
高津は種田少将宅など打つべく相手をよく知り、地形家屋の造りなどから打ちもらさぬ様にと向かい家の塀へ縋ってよく眼を凝らし辺りを窺っている。

「さて、どうしてくれようか。」

彼は任された大任を身命に代えても果たさんと意気込んでいた。
同じく高島中佐襲撃を請け負ったと聞く石原運四郎は何処にあったか。彼は秋月など様々な方面へ同志を回り、最後の打ち合わせに入っている。
敬神党の一挙に連動する一手は欠かせぬものとして、首魁太田黒らより厳命を受けての事であった。
着々と人士が打ち揃い、それぞれに会合成す場所へと集う時、既に日が暮れかかっていた。太田黒、斎藤両名他89名、首魁が姉・瀧子の嫁ぎ先である橋田家へ集結。食膳を共にし、集結場である愛敬宅(現熊本護国神社付近)へ向かう。上野、富永らは同志・鶴田伍一郎邸で食を摂って後、愛敬宅へ。他、石原、加屋、高津もまた、それぞれ加藤社や同志宅より愛敬宅を目指すのである。愛敬宅にて一党打ち揃うと、杯交わし、いよいよ皆兼ねてより整えておいた「勝」と書かれた章を肩口に結びつけ、大刀をしっかり差し立ち上がる。
太田黒は平服を纏い、その背に軍神八幡宮の御霊代を負うて将帥たる証とした。加屋もまた、平服のまま神前に供える白旗を取って襷十時に綾どり、事に臨んだのである。
皆個々に羽織袴に草鞋、具足のみ纏う、烏帽子直垂を纏い襷十字に甲斐甲斐しく打立てるなど様々な様相であるが、大小帯刀または薙刀槍を携えて集まる者はあれど、その中に銃器を構えている者は一人として在らぬ。まさに日本武士の戦いである。
暫くして、彼らはいざ宣戦を神前に唱えるべく藤崎宮(現・護国神社)へ向かいそこから各隊配置を伝達するのである。(細かな記名は省略する)

「第一隊は種田少将襲撃とし、これを高津、桜井以下6名とする」
「第二隊は高島中佐襲撃とし、これを石原、木庭以下5名とする」
「第三隊は与倉中佐襲撃とし、これを中垣、斎藤(熊次郎)以下8名とする」
「第四隊は安岡県令襲撃とし、これを吉村、沼澤以下5名とする」
「第五隊は太田黒議長襲撃とし、これを浦、吉永以下6名とする」

副帥・加屋は淡々と通達し、襲撃隊配置を報告するのみである。

「それでは、城内本拠地への討入じゃが。」

城内は鎮台の本拠地であり、堅固な熊本城敷地内には小銃など打ち揃う近代兵器を装備した鎮西の兵が三千余、それ以上の数待ち受けている。同志達は緊張した面持ちでただ彼の声を聞いていた。

「まず、熊本城大砲営制圧は太田黒と不肖加屋をはじめとして、上野斎藤両先生、阿部等幹部を含め70余名の本隊とする。」
「次いで、同城内砲兵営制圧は富永、福岡、愛敬以下同じく70名で本隊別働隊とする。」
「以上が大まかな配置である。各人部隊長によく従って見事戦って頂きたい。」

加屋はそう言葉を締めくくると、太田黒をチラリと見る。
彼の言い終えるのを確認して頷くと、太田黒は同志を前に大きく宣誓する。

「我等は神兵ぞ!これより先は神のみぞ知る。皆一身を献げ奮戦すべし。」

一党が神がかりの決起はこれよりはじまるのである。

各隊勇んで出陣と相成るや、藤崎の宮は少しずつだが元の静けさを取り戻しつつあった。先ほどまでの志士らの熱気が嘘のように、冷たく強い風が吹き荒れている。

「新開、我々もあと少ししたら出陣しましょう」

本隊二陣を指揮する富永守国である。彼は参謀としての能力を以って第二部隊長たる地位に望まれた。そんな彼だが不幸にも体調思わしくなく、この寒さからか風邪を患っていた。

「うん、そうだな。彼らが市中へ到着するという頃合を見計らってこちらも別々に打って出よう。」

「種田、高島らに逃げでもされては厄介ですからね。」

太田黒、加屋両帥は共に中軍として参じ、大砲を要する陣営への斬り込み決行部隊を率いるものである。歩兵営同じく、厳しい前線指揮官としてやや緊張の色もにじみ出ていた。

「あとは、高津や石原らがうまくやってくれれば良い事。我々も遅れを取らぬ様頑張らねばなりませんな。」

後ろから、一党の長老格であり皆が敬慕する上野、斎藤両氏が近寄ってくる。皆その声を聞き、そして先に出陣した彼らの姿を追い城下へと視線を向けたのである。

一方、高津隊は足早に、暗い路地を目標へ向かって駆けていた。 種田少将はかなりの手達。万が一、彼の抵抗にあって仕損じれば全てが水泡と帰す。
そうなれば、自分たちだけではない。石原ら襲撃部隊や、敵本陣と対峙する本隊の同志が窮地にやられる事は必死。高津は自らの刀を握り締め、我が一刀に己が全てを賭けて本願成就に望まんと気持ちを新たに進軍を進めたのである。
高津、桜井以下、少数の襲撃隊はいよいよ種田邸を確認。彼らは互いに無言のまま視線を交わすと、柄に手を添え高津の指示通りに動き、静かに塀や柵を越え邸内侵入を図る。
燭を頼りに種田少将の寝所を捜索すれば、一つ小さな蝋燭の明かりが浮かび上がる。
間違いない、標的を見つけたりと、一隊は足を忍びながらゆっくりと寝所の明かりを目指した。

四方に散り、気配を殺すと静寂の中に種田少将と彼が東京より請け連れてきた愛人小勝の微かな寝息だけが聞こえている。全体を見るとなんとも闇の儀式が如く薄気味悪い印象すらある。

「国賊起きよ!」

高津は怒声を発しながら寝所へ乱入しその頭部目掛けて刃を振り下ろした。
その声に微かな気配に種田は瞬時に枕もとの刀を取って受け流すと、飛び起きて応戦の構えをとる。
数合程、種田の応戦あって、負傷者を幾人か出しながらそれでも高津らは引く事なく戦い数回目にして漸く疲れを見せた彼に、隊士であった桜井が一刀を振り切り苦戦の後に首級を取るに至る。

ほんの僅かな時間だが、彼ら一隊には長く厳しいものであった。横で小勝は怯えた眼を動かぬ主人から話す事も出来ず、ただ高津ら一隊の去るのを見送る他無かったのである。
種田邸から素早く退去して後、高津隊は同じく、高島中佐襲撃を請けた石原隊と合流し彼らと共に行動する事となる。

「援護ありがたい、いち早く始末をつけ本隊の方へ合流しよう。」

石原運四郎は示現流の達人であるが、少人数部隊であったが為、高津らの協力を有難く受け共に目標へと走って向かった。
その時、熊本城から大きな爆音と共に、赤い火の手があがったのである。

城から聞こえる轟音と時の声はまさしく同志達の戦が始まった事を意味する。こうなった以上、急ぎ任務を終え合流を果たさなくてはならない。

味方は多勢に無勢、数を見破られれば鎮西の大群によって一網打尽とされてしまう。そうなる前に、何とか合流を。
高津、石原をはじめとする襲撃部隊はそれぞれに駆け出して目標へ向け一気に攻め込んだ。

しげはる

神風連偲奉会運営

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