
錦山の傾斜を下ると城北に位置する町・新堀に入る。高津、富永はこの新堀付近に居を構えている加屋邸を訪れていた。幾通りもの大小様々な路地を潜り抜けると、風格ある門が見えてくる。二人は頑丈な木製の門戸の前に立って顔を見合わせた。
「御免ください。」
富永の澄んだ声が響くと同時に奥から人の気配がパタパタと近づいてきた。
「はぁい。どちら様でしょうか?」
奥から出てきたのは若い女性であった。身なりから察するに彼の妻女であろう。厳格な加屋の妻らしく清楚で凛としていた。二人は丁重に挨拶を交わすと夫人に主の所在を問うた。
「敬神党の富永と申します。突然訪ねて来て申し訳ありませんが加屋霽堅先生はいらっしゃいましょうか?」
「同じく、高津と申します。是非先生にお会いしたく参りました。」
「まぁ、それでしたら私主人を読んで参りますわ。どうぞ客間へお通り下さい。」
夫人は二人を夫の知己と知るや柔らかい笑みを浮かべ嬉しそうに客間へ通した。二人は清澄な空気と緑の生い茂る庭園を楽しみながら夫人の後を付いて行った。
「こちらでお待ちくださいな。すぐ呼んで参りますので。」
そう言うや夫人は足早に客間から出て行った。残った二人は主を待って、襟を正し背筋を伸ばし彼を待ち続けるのだった。客間で出された茶を啜っていると、漸く件の人物が姿を現した。
「あ、加屋先生。」
富永は姿を認めるととっさに口を開いた。
「ご無沙汰しております。あの、突然の訪問で申し訳ありませぬが私達はこの度・・・。」
「挙を勧めに来たのだな?」
富永が全て言い終わるより先に加屋は彼らの意を読み彼の言葉に重ね告げた。
「え、はい。やはりお気付きだったのですか。」
「まあ、ここを訪れるのは君らだけではないからな。」
「え?そ、それでは!」
加屋の台詞に富永らは狼狽した。自分達以外にも同じ目的でここを訪れるものがあるとは。
「やはり挙兵は避けられぬか。」
「はい。新開の伺いたてた御神慮によりますれば、その様に。」
「そうか・・・。」
加屋は神慮という言葉を聞いて僅かに繭を潜めると重く溜息を吐いた。富永もまたいい終えると眼を伏せ黙ってしまった。高津は二人の沈黙をただ見守るしかなかった。
「加屋先生、どうかお力を貸してはいただけないでしょうか。」
長い沈黙の後、暫くは沈黙を守っていた高津運記が口を開いた。加屋はその声にかすかに視線を高津に送ったが直ぐ元に返してしまった。
「加屋先生。」
富永もこれに加えて半ば強請る様な口調で名を呼ぶ。
「すまぬが、私には既に決した事がある故直ぐにそれを曲げてしまうわけにはいかんのだ。」
加屋が申し訳なさそうに言うと二人は驚いて顔を見合わせた。
「はぁ、それならばまた折をみてお返事の方頂に参りましょう。事が事なだけに早急な返答は難しいでしょうからね。」
「それでは、また後日という事で、今日はこれで引きましょう。」
「・・・。」
二人は静かに加屋邸を辞すると、城南へ向かって歩き出した。
「なぁ?高津、確か水道町には阿部が居たな。少し訪ねてみようか?」
「え?ああ、そうしようか。」
彼らは道を北から南西に流れ参謀の一人・阿部景器の邸を目指すのだった。水道町・阿部邸へ着くと二人は主である阿部景器が留守であると知らされる。
「阿部が留守か。もしや我々と同じように加屋先生を訪ねているのでは?」
「うん。あり得るな、それかまた新開かもしれん。」
二人は已むなく阿部邸を辞し新開村を目指した。道中幾人かの若い同志達に会って挙兵の是非を問われたが全てが決定するまで内々にとの事だったのでそれらの質問を軽く交わして何とか新開へたどり着いた。
「ごめんください。」
富永は新開大神宮の鳥居を過ぎ側の太田黒邸の門を叩いた。
暫くすると、中から一人初老の女性が姿を現し彼らを出迎えるのだった。
「まぁ、いらっしゃい。伴雄さんなら先程から本殿に篭って同志の方とお話しておりましたが。」
「そうですか。それではそちらの方へ行って見ましょう。」
初老の女性、太田黒の義母に礼を言うと富永、高津は本殿へと足を向けた。
「新開?」
ガラリと戸を開けると中は別世界のように厳かでひんやりとした空気が流れている。その奥に黒い人影が浮かんで身動き一つせぬまま中央に厳かに座していた。
「新開。」
富永は太田黒の姿を認めると視線を彼から動かさずに名を呼んだ。その声は微かにだが乾いていた。
「富永君達か。」
「お邪魔します。ご報告に上がりました。」
太田黒はその声だけで何かを察したのか一瞬顔が曇ったが、直ぐ表情を戻し二人に向き合った。
「聞こう。中へ入りなさい。」
「失礼します」
富永が先に敷居をまたいで入り高津もそれに続いた。
「さて、報告でも聞こうか。」
太田黒は彼らの座るのを待って口を開いた。二人の言わんとする所は先にも述べた通り察しているがそれでも彼らから直に聞かねばならぬと思って、静かに言葉を待つのだった。
「そうか、霽堅が。」
予期する事とはいえ、やはり彼には衝撃が大きかった。上手く説得できればと微かな期待を持っていたが、いざ現実を見るとどうもうまく事は運ばないようだ。
「既に覚悟を決めておられる様です。」
「そうか。それ程に・・・。」
「新開、まだ僅かにでも同意の余地があるのであれば、諦めずに多方から使者を遣わすのがよいかと。」
「しかし、彼のあれ程の決意を無碍にするのも。」
彼は士気の低下を懸念しながらそれでも加屋霽堅という古くから親交ある友の志を尊重したいと考えていた。加屋と太田黒は河上彦斎と並んで国学者・林桜園の門を叩きよく競い交わりを深め三強と称される密な間柄であった。彼がもしどうしても建白をと望めばそれもよかろうかと思う程であった。
かといって、富永ら同志の言をそればかりを重んじる余り軽視する事もできず、正に板ばさみとなって彼は日々苦悶するのだった。
