神風連事変 三話

挙兵の日まであと僅かと迫っており、時間は残り僅かしか無い。その僅かの時間に富永ら幹部達は加屋霽堅を説得し、また多方面の同志達の間を奔走した。本当に慌しく日々過ぎ去っていった。富永、阿部、石原は幹部であり同時に桜園門下の友人同士である。彼らはよく会しこの度の挙兵においても結束し太田黒の頭脳としての役割を大いに果たしていた。

「そういえば運四郎、お前今日は加屋先生の方回ったのだろ。どうであった?」

阿部は茶を啜りながら向かいに座した石原に聞いた。彼らは阿部宅へ夕刻集まり会食をしている。石原と阿部の間に座っている富永は肴を箸でつつきながら彼らの会話に耳を傾けていた。

「ああ。加屋さんの所だろ?どうかな、結構共に挙兵するという事に傾きかけていると俺は感じたがなあ。」
「あと一押しか。」
「ああ、何か引切り無しに幹部が来て困っているようだ。進退を神慮に委ねるつもりかもしれん。」

石原はそう言って、箸を取って食を再開した。やがて、阿部の妻・以畿子が汁碗を盆に運んできた。三人は一頻話を続けると後は他愛も無い雑談に興じて夜を過ごすのだった。
一方の加屋霽堅も、幾度も訪れる同志達の言葉に耳を傾ける内、自信の進退を如何にすべきか、悩んでいた。

(富永君らの言い分も解る。だが、建白し死諫せんとする志も簡単に捨て去る事は出来ん。)

悶々と昼夜考え込み彼が下した決断はやはり敬神というものであった。その明くる日、彼はかつて自分が神職を勤めた加藤錦山神社の道を登り、社殿を目指していた。既に祠掌らは詰めており、神官不在のままであったが、滞りなく厳かに祭事を司っていた。

その祠掌の一人、浦楯記の姿を見つけると彼は歩み寄った。
「あ。加屋先生ではありませぬか。こんな朝早くから如何なされました?」
「うん。実はちと宇気比を依頼しようと思うてな。」

浦は一党の同志として加屋の件を先だって聞かされていたので直ぐ様依頼を承知した。
彼はそのまま別間で待つ事となり、加藤社の祠掌たちは忙しく神事の支度にかかるのであった。加屋霽堅の進退を決める神事が行われるのは挙兵3日前の事である。

加屋霽堅はこの宇気比に己の進退をかけていた。
廃刀令施行が急速に進みだしてから、同志達が論に揉め急進せんと煮えたぎる中、加屋は一語一句に誠心誠意込めて建白書を書き綴った。

その文は長き歴史の中で持して来た武士の魂とも言うべき刀剣賛美と西洋体制に急転する政府への諫言を主としたものであった。もう一つは幾度と説得に来る同志と共に刃を取って立ち上がるという決起すべしとの案であった。流石の加屋も彼らの決死の奮起を見ては動かざるを得なかったのであろうか。ともかく彼は祠掌であり後輩でもある浦に二件何れであるのかを伺わせる事となった。

「それでは・・・。」

浦は本殿中央に祀られた神棚へ傅き深く額が床につかんばかりに伏し拝む。ブツブツと奉じると同時に丸められたクシャクシャの紙を錫で選び取る。掬い上げたそれを手にとって浦は恭しく拝しゆっくりと開封した。加屋はそこへ立ち入る事もなくその回廊隔てた一室でじっと本殿から目をそらさずに座していた。この宇気比はどう転んでも彼にとって最期のものとなる。キィッっと古びた戸が重く押し開かれる。
疲れやつれた浦の姿がそこにあった。加屋はその姿を認めるや否や、顔を上げ浦の姿をじっと見つめた。

「加屋先生。」
「・・・。」

加屋の額には緊張の為か微かに汗が滲んでいる。浦は幾分冷やかな面持ちで彼に言葉を続けた。

「此度の挙に参じるべし、との御神慮にございました。」
「有難う御座いました。」

加屋は彼の言葉を神のそれに見立てて丁重に頭を下げた。それから今度は一つ溜息を付いて気を落ち着かせると、再び頭を上げ、浦を見た。その顔は迷いが晴れて清清しいものであった。

「加屋先生、可とありましたが、此度の挙には?」
「いやいや、神の御意志であられる以上俺がそれを否定する理由はない。皆共に戦場へ出ようじゃないか。」
加屋霽堅は、この宇気比によって同志達との命を賭しての挙兵に望む決意を固めた。浦は僅かに複雑な思いを持ってその側に佇んでいた。

朝霜の深い時間、褥を出て加屋は庭の井戸水を汲みに向かった。
手ぬぐいを片手にゆっくり冷水を含むと彼は軽く手で掬ってそのまま顔に浴びる。
冷たい空気と重なりひんやりした水がぼんやりした眼が冴えて来ると持した手ぬぐいを少しばかり広げて滴る水を拭った。

自室へ戻った彼は着物を重ね羽織袴を穿くと玄関へ急いだ。
毎朝の神社参拝は欠かせぬものであった。宮司であった頃から、もっと以前からの習慣でそれをせぬ日は無い程であった。
暫く錦山を目指し登り道中腹に差し掛かった所でふと城下を見下ろした。熊本の雄大な姿を拝み見、ほうと感歎の溜息を漏らすと再び小高い参道を顧みて歩を進める。

「加屋先生!」
あと少しという所で背後より大きな声がかかる。彼はその声に聞き覚えあった。彼は僅かに困った笑みを浮かべ後ろを振り返るのであった。
「石原君か。」
加屋はボソリと名を呟いた。石原はうっすら笑みを浮かべながら小走りに近寄ってきた。

「加屋先生もついに義に応じる決意を固めたそうですね。」
「・・・。」
石原は屈託の無い笑みで重い一言を口にした。それを聞いた加屋は、ああ、と一言静かに口にすると踵を返し山道を上がっていった。

「あれ?」

置いていかれた事に気付いて石原は慌てる事なくぼんやり間の抜けた声で彼を追った。彼はそれを気にするでもなくどんどん加藤社へと上っていくのであった。

神風連の乱

しげはる

神風連偲奉会運営

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