神風連の誠を遺すべく闘う人々

木村弦雄先生(木村先生著 血史より)

天保9(1838)年、玉名郡高瀬に生まれる。

太田黒伴雄や加屋霽堅と同世代で仲も良く勤皇活動に励んでいた。

やがて、肥後藩による志士弾圧が起こると、霽堅と共に獄中生活へ。

明治以降は熊本で中学教諭として務め順風満帆な生活だった。

敬神党の変が起こる前々日の夜に突然霽堅が尋ねてきた。

弦雄の養母によると、たずねてきた霽堅は2人で部屋に引き篭もり密談をしたが徐々に激論となり弦雄は声が外に漏れないか、近所迷惑にならないかヒヤヒヤしたそうだ。

なんとか霽堅を宥めて帰したが、よもやその翌日23時過ぎに敬神党が挙兵し2度と木村弦雄と加屋霽堅は会うことなるとは思わなかった。

彼の遺稿に、1876年(明治9年)神風連の乱の首魁であり同志である太田黒伴雄 、加屋霽堅らの誠を世に訴えて、その精忠を伝えるべく記された 「血史」がある。

しげはる

神風連偲奉会運営

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