明治政府は忙しかった

こんな景色は150年前にもあったはず

木戸ら政府の急激な発展を促した理由は、外国に出遅れた事に慌ててとかそういうのばかりではないと思います。急激な世の中の変化に対応しない頑固な人間が必ず革命の後には存在するものです。

だから敢えて反感を買いやすい政策を出す事で反乱分子(嫌な言葉ですがあえて使います)をいぶりだして叩こうと言うのは政策というより戦略だと思います。

政治とかキレイなところではないと思います。

日本文化よりも何よりも国を治める事にとらわれすぎたのかもしれません。

当時は欧米諸国による植民地支配がアジアなどで広がっていましたし、日本政府が富国強兵を急いたというところでしょうか。

その危機感、今こそ呼び起こせと思う所です。

  • しげはる

    神風連偲奉会運営

    Related Posts

    廃刀奏議書スタート

    文字が潰れて読めない箇所は最後にもう一度解析するとして、分か…

    脱落したらごめんなさい

    禁刀の令を布き玉へるに付き奏議 草莽微賤臣霽堅誠惶誠恐まいし…