-肥後藩学党系譜図-




■藩校時習館■
設立当初は儒学を講義していた。その後朱子学のみとなる。
--対立-- ■実学党■
時習館の実践性の無い
時習館朱子学を批判。
家老米田監持、横井小楠らが中心
■勤王党■
林桜園
国学を中心とした講義
神道を重んずる。
■学校党■
実学党弾圧勢力
徳川斎昭・藤田東湖と親交があったが、二人が幕府から蟄居を命じられると同時に、藩への発言力を失う -協力関係- 宮部鼎蔵、江住甚兵衛、河上彦斎、魚住源次兵衛、轟武兵衛、
太田黒伴雄、加屋霽堅らが尊皇攘夷活動に台頭
急進派と穏健派に分裂
●急進派●
江住甚兵衛

●穏健派●
魚住源次兵衛
京都御所親兵として上洛。
江住甚兵衛を総帥とし、宮部鼎蔵を総督とする。
池田屋事件、禁門の変起こり
活躍の機会を失う。
明治維新
開国派に転換 --対立-- 勤王党内分裂
●政府仕官派●
●反政府派●
反政府派がさらに二派に
分かれる

●攘夷断行派●
河上彦斎ら人事を中心に活動
■敬神党■
太田黒伴雄ら神事を中心に活動
--対立-- ●政府仕官派●
古庄嘉門・木村弦雄らが攘夷断行派に協力 ----------- 一部協力 ----------- 攘夷断行派
学校党の攘夷派と通じる
明治四年、新政府と実学党から嫌疑を受け彦斎刑死
敬神党の、政府・実学党に対する不信が高まり明治9年決起。


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