前略
和田小五郎様
血筋って何だよ。。。
記憶が正しければ学生の頃、父が泥酔した時ボソッと漏らすのだ。
「ワシは〇〇の血筋よ」と。
とても誇らしげに。
確かに、除籍謄本を辿ってみたらその人物の血縁とぶち当たるのだ。
通りで一家何不自由なく暮らし、兄妹も良い生活を送っておる。
唯一大学卒業後ニート生活を送っていた私も余裕で腹いっぱい食わせて貰っていた。
直系の方は日銀の大御所へ。
私の父も病気をしながら、大手企業への勤務を経て無事二十年前定年退職した。
私がニート生活の最中「河上彦斎伝」を描き、「神風連の乱の研究をする」と父に告げた。
その時の父の言葉は今でも忘れない。
「もしお前が誤った『道』を進むやうなら、お前を斬りワシも死ぬ」と。
殺すではなく、「斬る」だ。
『誤った道』とは何か?
それは誰にも分からない。
父にも私にも。
上記の事を神風連偲奉会の一部の方、その中でも神風連烈士ご子孫や肥後藩士族の方々へ打ち明けると、彼らは泣いて下さった。
偲奉会代表の血涙を此処へ滲ませて置く。
つづく。
私の祖父(1900年生まれ)は『拳銃』を所持しておった。無論県からか政府からか許しを得ての事だ。
大変厳格な人だったそうだ。
私は祖父の顔を写真でしか知らない、祖父も孫の顔を知らない。
祖父は西園寺公望の創設した私塾立命館(立命館大学)の出である。
なぜ西園寺さんに執着していたのか。。。
つづく。
本家の方が持って居られるのか。
私は分家で、無論身分的に本家より格下げになる。
つづく。
長州藩(毛利藩)。
確かに長州藩(特に士族)の結束は固い。
そして、長州藩士族も十二分にプライドは高い。
私の親戚は『安部晋太郎後援会下関支部』の会長を務めていた。
我が家にも毎年年賀状が来ていたらしい。
数十年も昔、その後援会長さんが亡くなられた際下関の叔父が代表して葬儀に参列した。
そこで安部晋太郎の奥さん洋子さんと、安部明恵さんと弔問で会われた。
叔父が言うには
「晋三君のお嫁さん、あの子ねぇ・・・あまり可愛いとは言い難・・・(略)」
と語っておったそうだ。
明恵さんも今では時の人。かな?
つづく
我々は負の遺産かも知れない。
まったく分からない。
政府によって消されてはいるが、権力によって救われてもいる。
来孫、昆孫はここに生かされておる。
なんの苦労も知らずにだ。
世間知らずのくせに、遊んでばかりの毎日のくせに、血筋なだけでだ。
いつか試練が来る。
それは今なのかも知れない。
終わってみなければ分からん。
つづく。
『神風連の乱』-第一巻-を提出した。
私はここに自分の幸せを見つけた。
これでいい。
これでいいのだ。
いいものを描きたい。
必ずこれは完結させてみせる。
これが私の生涯の仕事、生まれてきた理由にしよう。
つづく。