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ご存知、松下村塾。>>>


安政四年に吉田松陰が叔父の玉木文之進から引き継ぎ開きました。
高杉晋作や久坂玄瑞、入江九一、吉田稔麿などを輩出し倒幕の起源となった私塾。
その付近に杉家があります。杉家は吉田松陰の生家で、後に久坂玄瑞が松陰の妹フミと結婚し住んだ家です。
伊藤博文旧宅>>>


初代内閣総理大臣となった伊藤博文の家。
伊藤は元々足軽の子でしたが、上士である高杉晋作の子分としてと常に行動を共にし、大業を成し大出世に至ったのです。
ここに住んでいた頃の俊輔少年は、まさかこの茅葺家の隣に、「伊藤公別邸」という大きな別荘ができるなど想像もつかなかった事でしょう。
木戸孝允旧宅>>>


木戸孝允は萩藩医である和田昌景の子で、後に上士の桂九郎兵衛の養子となります。
呉服町にあるこの旧宅は和田家であり、医療用の門と自宅用の門があります。
久坂玄瑞誕生地>>>


萩の平安古町にある玄瑞邸跡。
フミと結婚するまで、彼はここに住んでいたそうです。この近くに大楽源太郎の生家もあるはずですが、なかなか見つけることが出来ません…。
まぁーるバス西回り(晋作くん)に乗ると、「久坂玄瑞誕生地前」というカッコいい停留所で降ろしてくれます。
前原一誠旧宅>>>


前原一誠は松下村塾門人で後に参議となります。その後萩の民衆が幕政時代と何ら変わらない苦しい生活を強いられているのを見かね下野。反政府士族らと「萩の乱」を起こしました。
松下村塾の影の部分を背負ってしまった人物ですが、その影もまたその名の如く、一つの誠であったのでしょう。
萩城(指月城)跡>>>


関が原の戦いで破れた毛利輝元は、領土を周防長門の二州に削られました。その時に輝元が居城として構えたのがこの萩の指月城です。
関が原以来260年間、毎年正月になると「倒幕の議」が開かれていました。


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