山室神傳にさて剣は火に焼又石に水そぎついて共用をなすものなれば、火と石と血とに因る七柱の等みな建御雷神の徳を助成たまへるなり、故此八柱の中に建雷神を後に専ら効を立たまへるが、故所三刀名謂天之尾羽張、亦謂伊都之尾羽張と見て下なる原中除はん時の状を、於是天照大神詔之亦遣神曷者吉爾思金神及諸神白之、座天安河口上之天石屋名伊都之尾張神。
是可遣、若亦非此神者其神之子建御雷三男神,此應遣且其天尾羽張神者、逆塞上天安河之水而塞道居云。
例の傳に世に物に水をたいへ其中に砥を安刀剣をとぐは、此神の如此河水を塞溝て石室に座るに緣れりと見へ、例の通証に我邦劍德之所維持固奇而、 二神驅除葦原の効奇 至韴靈則更奇矣 如其化生奇而盆奇戴などあると次々平定の業を成就し玉ふ由来とを深く考へ味ふべき事にこそ。
さて此の次第は神武天皇の條詔勅の下に論ずべきをかしこには略し申し上げて先本立所にこそ提綱つれ。(中略)
又伊邪那岐命汚穢國より急遽還幸時に、泉津大神の八雷神に千五百の黄泉軍を副て追しめ玉ふ。書紀には乃遺泉醜女八人追い留めとあり、さて和名抄に醜女を鬼魅の部に収録いたすべし。

