1874年(明治7年)夏頃より、神風連は各社の神社の神官に採用されています。神風連が尊攘論を固守し出仕を拒否していたので、1873年(明治6年)に熊本に赴任してきた安岡良亮県令が懐柔の為に出した案でした。県官が神風連に対し神官の試験を出したところ、皆同じ解答だったそうです。
来年、神風連150年の企画として、神風連資料館(令和6年閉館)に展示されていたパネルを参考に、今日現存されている奉仕神社27社をランダムに紹介していきたいと思います。

正院厳島神社(熊本市北区植木町)
祠官 富永守国
祠掌 寺田楯郷 林田鉄男 横田真雄 荒木敬次 富永三郎 児玉忠次


「神風連実記」の著者、故荒木精之氏が正院厳島神社を訪れた際のエピソードがあります。
神社近くの故老の方々の話によると、「朝は未明に起きて付近の清流で禊をし、太鼓をたたき、国家興隆、村内安全の祝詞をあげられていた。村人はその太鼓をきいて、ほらもう太鼓がなりよるばい、といって起き出たものだった。神様への御奉仕は真剣そのもので、たとえば隣村のお宮の祭礼に行かれる時など献饌の三宝を目の高さに両手でささげたまま、木履を履いてただの一度も中休みすることなく姿勢もくずさず行かれたものだった。村人たちは富永さまを生き神様といっていましたよ。」
このようなことが全県下の神社で行われてきたわけである。彼らは素行厳正、儀容また静粛、朝に斎戒して衣冠を正し神祗に奉仕し、夕べに精進して容儀を整えて祈祷をこらすのであった。彼らは素行厳正、儀容また静粛、朝に斎戒して衣冠を正し神祗をこらすのであった。