その気炎に誘われてか、敬神党の士気そのものは衰えても、隊士らの攻め手は一向に止むを知らぬず、斃れても斃れても我武者羅に攻め寄せた。
鎮台軍の兵士達はその鬼神さながらの攻めに、恐れを抱きながらも頼りの小銃を握り締め、只管引き金を引き続けるのである。
ドンッ!ドンッ!
数発の銃声がひときわ大きく聞こえる。
その直後にどっと何かが崩れる音が響いた。
辺りは銃声と怒声の入り混じった、激しい戦場であるにも関わらず何か時間が止まった様なそんな錯覚に見舞われた。
「太田黒先生!」
「新開!」
「先生!」
駆け寄る足音がバタバタと聞こえる。
銃声は未だ止まず。
斃れる音と、銃声と、人々のざわめく声と、様々な音が入り混じるこの場所で、悲痛な声が木霊した。
馬が声の間をすり抜けて走り去っていくが、果たして何ぞあったろうか。
隊士のみならず、鎮台兵らも訝り馬の行方に目をやった後、その出先を覗く。
誰かやられたか。
隊士達は、馬に乗った誰かがやられたと察した。
しかし、あの聞こえてきた悲痛な声は自身らの敗北を意味するものだとも察していた。
「太田黒先生がやられた!皆一時撤退せよ!」
歩兵営を指揮する部隊の長、富永守国の声である。
どうやら、予感は的中し首領・太田黒が被弾したらしい。
泣き叫びに近い仲間の声と、富永の撤退命令。
敬神党隊士らにとって、死を覚悟の長い日が始まった。
加屋、太田黒と領袖を失い、意気消沈する志士達。
それを辛うじて食い留めたのは、強固な意志を持ち、志を同じくする同志・富永等の声だった。
「皆ここは一時退け!藤崎へ退け!」
駆けつけた石原運四郎、高津運記ら諸参謀も入り混じって藤崎。愛敬宅へ撤収した。
胸に被弾し滴る血を拭う事もままならぬ太田黒を抱えるのは、彼の義弟である大野昇雄である。
「義兄上、しっかり!」
義兄を励ましながら、必死に法華坂を下る。
他の同志達と散りぢりになりながらも、何とか太田黒伴雄は担がれ坂のくだりにある民家に着いた。
大野と同じく、一緒に居た吉岡軍四郎も彼を抱き起こして担ぎ、共に屋内へと逃れた。
また長老上野堅五も傷を負いながら駆けつけた。伴雄は死を悟ると傍に控えていた吉岡、大野へ向けて小さな声で告げた。
「頬を撃たれた時はまだまだと思ったが、胸をやられては生きた心地がしない。どうか速やかにわが首を打ち御軍神と共に新開へ送ってくれ。」
と、苦し気に命じた。
「先生、誰に介錯をさせましょう。」
「宗三郎、お前がせよ」
と大野に向かい静かに言い渡すのであった。
それから、ゼイゼイと苦しい息を洩らす太田黒は、俄に垂れた首を押し上げると誰にとも無く訪ねた。
「今どの方角を向いておるか。」
「西へ向いておられます。」
「そりはいかん。天子様の居られる東を背にしては死ねぬわ。これ、誰ぞ向きを直してくれ。」
そういって、上野や吉岡等が太田黒の身体を支え、方向を変えさせると彼はよしと呟いた。
「先生、この後我等はどうすべきでございましょうや。」
ここで最後に支持を仰がねばと吉岡は必死に太田黒に訪ねた。
彼は死が間近に迫っている人間と感じさせぬほどの口調ではっきりとその答えを返した。「斯くなる上は、皆神慮に従い城を枕に死するべし。」
悲愴の決断、命令である。
この挙兵自体、死を覚悟のものだったのだ。
今更に生き残ることを考えるものは一人としていないと、彼は思っている。
だから、武士の最後、神臣として、その最期を全うせよと命じたのである。
もう少し、あと少し問うておくべき事が。
吉岡が再び、後事を訪ねると彼は暫く黙している。
やがて、その口元が小さく動くのを見て吉岡は耳を寄せた。
彼は弱弱しく滴る血は胸部から地に伝っている。
「うん。」
かすかな答えらしい言葉だけ返ってきたが、彼はもう項垂れて今にも意識を手放す所であった。
(もう義兄にはお答えする力も失われておいでなのだ。)
大野はハッと辺りに聞き耳立てた。
外が騒がしくなってきた。
敵が近い!
時期に営兵も追い迫り、首領が敵の虜となる事を恐れた。
カチリと鍔元と鞘とが離れる音が響く。
吉村と上野は太田黒の身体を支え、首を落としやすい体勢を取った。
(義兄上。)
大野は両の目から血の涙を流さんばかりの苦痛の表情を浮かべていた。
大野家に自分が誕生してから父母より酷い仕打ちを受け続けた義兄・伴雄はそれを恨む事もなく逆に純粋に何も知らず慕い寄る自身を愛し大事にしてくれた。
優しい面影が過り、彼は義兄に向けた刃を恐れ嘆いた。
しかし、敵に渡すならば己がとも同時に思っていたから、刀の柄を持って震える両手に力を込め、強く握り絞めると、遂に刀を挙げて義兄の首を打ち落とした。
太田黒伴雄、享年四十三歳。
彼等に滴る赤い血は烈士等の血涙そのものであった。
ー完ー