
熊本城下の絵図で大半は侍屋敷となっている。
侍屋敷と町人、寺社を塗り分け、屋敷主の名を記さないものは無い。千石以上の重臣たちには氏名に家紋にと更に詳細が加えられている。
現代の地図とは違い、これを日常で活用する意図はなく、あくまで作者の趣向による、【作品】という意味合いが強いと思われる。
現代の熊本城下と比較すると、大きく街の形状が変化した様には見られないように思う。
肥後熊本の人々が古くから街を、街並みを愛していることの現れだろうか。
(抜粋:太陽コレクション 城下町古地図散歩7)


上、文化〜文久4年熊本
下、現在の熊本