神風連の根本思想「古神道」
その真髄を学び、そこから現代社会への警鐘を聞きとる
神風連の人々は尊王ですが、明治新政府も尊王でした。
その部分だけをピックアップするとしたら、どこに違いがあったのでしょうか?
明治新政府は天皇及びそのご先祖達だけを神とする政策でした。
神風連は山紫水明、山川草木をも尊<かみ>とし、人が死んだ後は誰もが、神<尊>に成るという考え方ですね。
いわゆる古神道のかたちも引きずってますから、新政府の宗教政策とは相違があるわけですね。
新政府はだんだんと天皇さんを一神教の絶対神のようなかたちにかつぎ出しました。
富国強兵、イケイケドンドンの当時のキリスト教八紘一宇(世界支配)と同じような路線をめざすには このほうが効果的だからです。
でも神風連の古神道は自然順応型の信仰の姿です。このことは古神道の教義を持つ金光教や丸山教への新政府の弾圧などからも言えるかと思います。両教では庶民もワルイことをした人も、死後は清浄な、神に成るという教義 で新政府の方針と違うからです。
(明治3年からの国家神道政策や、キリスト教の伝幡によって、神という言葉が独占され、変質しましたので、
( 江戸の伝統では「尊」と言ったほうが分かり易いかと思います。)
アメリカの支配層達のネオコン型八紘一宇は、他国はもちろんのこと、実はアメリカ人にとっても、地球の自然環境にとっても大変不幸なことと思っています。 気候も風土も相違する世界中を、一つの考え方にして統治しょうなどはドダイ無理なことではないでしょうか。
幕末当時の欧米は諸外国へ出掛けて行って、一体、何をしていたのでしょうか?
国交?貿易?そうですね。全く為替レートの違った国、または貨幣を持たない国へ行くのですね。
もとより商船の行く処 、後から軍艦を率いてという、スペイン帝国以来の構図ですね。
鋭敏な河上彦斉などはそういう噂をチラホラ耳にした時、彼の国々を、文明国と見たでしょうか?
それとも 野蛮国と見たでしょうか?
これは西郷隆盛の遺文をみれば明白だと思います。彦斉は江戸で強圧、傲慢な黒船を目の当たりにしました。逆らえば攻撃をするというので、井伊大老も仕方なく、調印して開国せざるをえませんでした。
そのため、 親米傀儡政権化幕府としては、反対者を安政の大獄で潰して行かざるをえませんでした。
同時に長期政権の幕政はすでに腐敗現象ですから倒幕です。日本の歴史の中で 次の代表を選ぼうとすれば天皇というわけです。王政復古の中で、長崎出島などの交易はあっても、大大的な、交、望易は強大国にその国の伝統まで破壊される結果となるから、よろしくはないと、攘夷でした。
(※文久年間には、既に10000人以上の欧米人が渡日してましたからね)
近現代史の中で、烈士達に類似したような人は、アフリカ、西、東南のアジア諸国にも、沢山いましたね。
国家が暴力的な西洋列強の利権獲得の押し付けに、従わざるをえなかった時、これでは民族の崩壊でしかない、と抵抗した人々です。たとえばイラン、「こんな趨勢の中では致し方ない」と、西洋化に踏み切ったのがハーレビ国王さんこれではクエートみたく、「英米の思い通りにされて、民族、文化の破壊となってしまう」と感じたのがホメイニ師。 これはどちらも天才的人物の象山と彦斉の立場に似通った部分がありませんか?
復古思想としてはパキスタンのアルカイーダも、アフガンのタリバンも、また、フセイン政権も類似した部分があると思われませんか?(どうぞ情報操作で作られたイメージで、ものを観ないことを望みます)
今、世界は開国しています。久しく国際化などといわれています。また、“アメリカングローバルゼーション経済”などと言って、みんなが金持ちに、などと煽っていますね。水も空気も土も 地下資源も、限りのあるこの地球の中で、みんなが皆、大量消費の金持ちになれるのでしょうか?貧しい国では、さらに貧民層が増 えて、暮らしの厳しさから、地主(傀儡政権側)と小作が宗教問題などもまじえつつ内紛、争闘の銃器消費 を繰り返していますね。
仕掛け人はどなたでしょうか?
どなたが儲けているのでしょうか?
そして長い間に構築されてきた、その民族の暮らし方を変えた国の人々は幸せになれたのでしょうか。
日本では40年前に比べ経済は10倍以上にはなりました。でも子供達の犯罪は?自殺は?家庭崩壊は?
精神病に通う人は?大人への信頼度は?離婚?泥棒は?自然環境破壊は?ダイオキシンは?放射能汚染は?ゴミの量は?殆ど10倍以上に増えました。そしてさらに大きく言えば 宇宙船地球号は、どうなるのでしょうか?
開国って何なんでしょう………。
物とお金に囲まれ、便利、快適を追求して、果てなく進む応用科学ビジネス、人々は本当に幸せにれるのでしょうか…。
「人間は自然循環の中の一生命体でしかない」…古神道には、哺乳類ヒト科中心の考え方はありません。
大きな木も神としますね。だからよろずの神の数え方を一柱、二柱と呼称する伝統です。 自然に傲慢であっては、「人間の本当の幸せからはドンドンと逸脱していくだろう」そんなことは、神風連の人は日本の伝統から当たり前に知ってましたヨ。
人間は自然の一部、「草主人従」を腹に落としていたからですね。