河上彦斎など肥後勤王志士の生涯を追い、明治九年『神風連の乱(神風連の変)』へと続く研究
敬神党副将、加屋霽堅のお勤め先は加藤神社(当時は錦山と称した)であった。
熊本城を訪れた際に、歴史が書かれた石碑を見つけたので、書き写すことにする。
是非、来熊の際には訪ねて欲しい場所である。
鹿島甕雄(かしまみかを) 幼名 駒喜 父親は一法、母親は多喜…
いよいよ挙兵へ向けての最後の段取りである。領袖達は慌しく同志…