

ジェーンズ邸(熊本洋学校)
明治4年、熊本藩お抱え教師として米国軍人ジェーンズを招く。その教えはキリスト教布教と同時に『西洋技術による日本国強化』と言う名目であった。
ジェーンズは故郷を捨て来日し、熱心に熊本の若者達へ教鞭を振るう。彼は元より軍人出で軍隊を作り上げる事を積極的に提案したが藩単体で軍を持つ事は許されなかった。
※そもそも藩の洋学校建設目的は時習館の閉鎖によりそれに変わる『兵学校』建設が目的であった。
明治9年1月30日に花岡山で、血盟を『キリスト教で日本を改革する』
神風連の若い志士達はこのようなキリスト教布教に怒り、隙あらばジェーンズ殺害の機を窺っていたので彼もそれを知ると帰国を決意せざるを得なかった。※殺害計画自体は加屋霽堅の説得により制止されている。
尚、帰国は神風連決起の直前。
同志社大学の校訓は熊本洋学校の生徒が作ったものである。
神風連資料館理事(監査役)松井浩先生よりお教え頂きました
松井先生のご回復心よりお祈りしております🐱